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東京高等裁判所 昭和24年(上告)306号 判決 1949年11月11日

上告人 被告人 保芦松五郎

弁護人 鈴木喜太郎

検察官 小泉輝三関与

主文

本件上告は之を棄却する。

理由

本件上告の趣旨は末尾添附の弁護人鈴木喜太郎名義の上告趣意書と題する書面に記載の通りである。之に対して当裁判所は次の様に判断する。

昭和十八年農林省告示第四四三号が昭和二十二年六月十六日物価庁告示第二九七号によつて廃止せられ、同告示が更に昭和二十二年九月一日の同庁告示第五三一号によつて廃止せられ、同告示が遂に昭和二十三年八月十一日の同庁告示第六四七号によつて廃止せられ、同時に塩さけ、塩ます等の価格統制が撤廃せられたこと並に其の後に原判決がなされたことは所論の通りである。しかし右告示の廃止並びに之に伴う新価格の指定はそれによつて塩さけ、塩ます等の指定最高販売価格の変更を来すのみであつて、それ等の価格統制違反に対する物価統制令所定の刑罰は其の間何等の変更を見ていない。加之それ等の価格統制違反に対する物価統制令は後述する様に限時法的性質を有するものであるから、本件に対しては行為時における右昭和二十二年告示第二九七号と物価統制令の罰則とを適用すべきことが明白である。従つて第一審裁判当時においては本件の処断について刑法第六条を適用すべき余地は全然存しなかつたのである。元来刑罰法令は其の有効期間中に行われた違反行為を対象とし、其の間に行われた違反行為は行為と同時に処罰性を帯び国家は該行為者に対し刑罰権を行使し得るに至るものであるが、斯くして一旦発生した刑罰権は理由なくして縮小したり消滅したりするものではない。刑法第六条には、犯罪後の法律に因つて刑の変更のあつた場合にはその軽いものを適用する旨規定し、旧刑事訴訟法第三百六十三条第二号には犯罪後の法令に因つて刑の廃止があつた時には免訴の言渡を為すべき旨を規定しているが、此等の規定は、孰れも刑罰法令制定の理由となつている法律理念の変更に基いて、従来の処罰自体が不当であつたとか、又は科刑が重きに過ぎたとかいう反省的顧慮から一旦発生した刑罰権を遡及的に放棄したり又は縮少したりする趣旨に出たものであるから、右諸規定の適用は自ら立法趣旨に基くところの制限を受けなければならない。されば右の様な法律理念の変更に基くのではなく、単に皮相的な社会状勢の推移殊に経済事情の変遷に基いて、其の時其の場の特殊的状況に即応する為、前法令が改廃せられるに過ぎない場合には、前法令の施行当時の社会状勢又は経済事情の下に行われた違反行為に対する処罰性を縮少したり、又は消滅させたりする理由は全く存しないから、後日該法令の右に述べた様な趣旨の改廃があつても、それに拘らず、尚行為当時の刑罰法令に照して該違反行為を処罰すべきものである(昭和二十一年そ第一号、昭和二十二年四月五日大審院刑事聯合部判決参照)。本件塩さけ、塩ます等の価格を統制している物価統制令は終戦後の事態に対処し、物価の安定を確保し以て社会経済秩序を維持し、国民生活の安定を図るを目的とするものであつて、右の様な社会経済状態の継続する間に行われた違反行為に対しては常にその罰則を適用するを相当とするから、同令が臨時物資需給調整法と異つて、形式上歴然たる時限規定を有しなくても、其の作用上限時法的本質を有するものと謂うべきである。同令が価格統制令を廃止する規定を設けると同時に、価格等統制令は物価統制令施行前に為した行為に関する罰則の適用については同令施行後でも仍其の効力を有する旨を規定していることに因つて物価統制令の前述本質が変更を来すものではない。而して本件事実が右の様な社会経済状態の下に行われたことは記録に徴し明白であるばかりでなく、右物価統制令に基く右物価庁告示は右に述べた様な随時随処の経済事情に対処する為に制定せられた限時暫行的法令であると解するを相当とする。従つて前示昭和二十三年八月十一日の物価庁告示第六四七号は塩さけ、塩ます等に関する経済事情が右の様な意味で推移変遷した結果最早その価格を統制するの要を認めなくなつたとの認識に出たものと解するを相当とする。されば右価格統制を撤廃する旨の告示があつたに拘らず被告人の原判示行為は現在においても依然処罰を免れ得ないものと謂うべきである。故に原判決が旧刑事訴訟法第三百六十三条第二号を適用して本件について免訴の言渡をすることなく行為時法を適用して被告人を処罰したのは正当である。原判決には所論違法は一つも存せず、論旨は理由がない。

仍つて旧刑事訴訟法第四百四十六条に従つて主文の通り判決する。

(裁判長判事 佐伯顯二 判事 久礼田益喜 判事 正田満三郎)

弁護人鈴木喜太郎上告趣意書

本被告事犯は旧刑事訴訟法第三六三条第二号(新刑事訴訟法第三三七条第二号)の規定に基き免訴の言渡しをしなければならない。

事情

一、本被告事犯は物価統制令第三条第四条に基く昭和二十二年六月十六日物価庁告示第二九三号の違反事件であり、同令第三十三条罰則に該当するものとされた。

二、昭和十八年農林省告示第四四三条塩さけ、塩ます等の最高販売価格指定の件は昭和二十二年六月十六日物価庁告示第二九七号により廃止され、右告示は其の後二ケ月半経過後の昭和二十二年九月一日の同庁告示第五三一号により廃止されている。然しこれ迄の後告示による前告示の廃止は廃止と同時に右塩さけ、塩ます等の新統制販売価格が制定されている。

然し昭和二十三年八月十一日の物価庁告示第六四七号による前第五三一号告示の廃止は右塩さけ、塩ます等の価格統制撤廃であることを注目しなければならない。

三、本被告事犯の敢行されたのは昭和二十二年七月一日頃である故に右第二九七号告示に該当したのである。依て昭和二十三年三月十六日に略式命令あり第一審裁判は昭和二十三年五月十五日に事実審理が終了同二十二日に言渡しあり。控訴裁判の事実審理は昭和二十三年八月十一日の物価庁告示第六四七号によつて塩さけ、塩ます等の価格統制撤廃後既に八ケ月余経過後の昭和二十四年三月十七日に終了同月二十六日に言渡されている。

事由

一、昭和二十二年六月十六日物価庁告示第二九七号による昭和十八年農林省告示第四四三号の廃止、昭和二十二年九月一日物価庁告示第五三一号による前記同年同庁第二九七号告示の廃止は刑罰法規の撤廃とすることは出来ないが刑罰法規の改正であり、刑法第六条所謂刑の変更である故に本件第一審裁判は行為時法である物価庁告示第二九七号と裁判時法である同告示第五三一号とを比照しその軽きに従うべきであつたのであるが、右第一審判決は単に行為時法に従つて裁決した。之れは明らかに刑法第六条違反である。

二、然るに昭和二十三年八月十一日物価庁告示第六四七号による同告示第五三一号の廃止は刑罰法規の単なる改正でなく塩さけ、塩ます等の価格統制を解くこと即ち物価庁告示第五三一号の廃止にある。されば此の廃止に基き物価統制令第三条、同第四条、同第三十三条の規定も塩さけ、塩ます等に関する限り蓋然法規(仮称)となり現実の適用力を失つた。

然るに本件控訴審の裁判は右廃止後八ケ月余経過後に事実審理をなし言渡しをなしているに拘らず旧刑事訴訟法第三六三条第二号(新刑事訴訟法第三三七条第二号)を適用しない。故に同裁判は右法無視の違法がある。

三、惟うに本被告事犯に対し第一審裁判所が刑法第六条を適用せず控訴審裁判所が旧刑事訴訟法第三六三条第二号(新法第三三七条第二号)を適用しなかつた事由は物価統制令並びにこれに基く右物価庁告示の規定を右法規が改廃されても罰則のみは其の効力を失わないと見たことによるのではあるまいか。而してその事由として物価統制令の本質が然らしむものと見る当然解釈と右物価庁告示の塩さけ、塩ます等に関する部分が廃止されても告示全体としては廃止されていないと見る見解並びに物価庁告示が廃止されても物価統制令が廃止されていない。故に尚罰則の適用可能であるとの事由を想像することが出来る。

然し(イ)物価統制令は当然に時限規定(法規が廃止されても罰則のみは効力を保有する規定)と見ることが出来ない。何故かなればこれと同一性質を有する臨時物資需給調整法は明らかに右時限規定を有するに拘らず本令にはその規定を欠くからである。それは一に戦時の特別必要に基き制定せられた本令がその廃止後迄処罰する必要を認めなかつたによるものと解する。そのことは本令は法律の最大例外とされている法の効力の遡及的規定を敢てなしているに拘らず時限規定をなさなかつたことからも知られる。(ロ)物価庁告示は個々につき規定したもので全体としての関連がない故に塩さけ、塩ます等に関する規定の改廃は他に何等影響がない。(ハ)物価庁告示の塩さけ、塩ます等に関する部分が廃止されたとき物価統制令第三条、同第四条、同第三十三条が此の事項に関する限り蓋然規定となること既述の通りである。故に物価統制令及びこれに基く物価庁告示を時限規定となし本被告事犯に対しなしたる第一審並びに控訴審の裁判は共に違法であるからこれを破棄し、本被告事犯に対し免訴の御言渡し相成り度し。

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